58歳で逝く…元中日ドラフト1位・小島弘務氏、肺がんで死去。星野仙一の鉄拳制裁と“2度の隠し玉”伝説
プロ野球ファンに衝撃が走った。元中日、ロッテで通算167試合に登板した小島弘務氏が、肺がんのため58歳でこの世を去った。7日に訃報が明らかになり、球界関係者やファンから悲しみの声が相次いでいる。
小島氏の野球人生は、まさに“数奇”の一言に尽きる。まず1989年、ドラフト外で西武と契約したが、駒大中退後の扱いをめぐる手違いで野球協約違反となり、契約が無効に。キャンプ参加中に“強制送還”され、空港でフラッシュを浴びる屈辱を味わった。本人は「まるで犯罪者みたいだった」と振り返っている。
エアコンなしで部屋を涼しくするならこの一台Airio Pro ところが翌年、中日が“隠し玉”として外れ1位で指名。まさかの2度目の“隠し玉”入団が実現した。ドラフト情報がSNSで瞬時に広がる現代では考えられない、運命的な再チャンスだった。
そして鮮烈に記憶に残るのが、1991年5月の横浜スタジアムでの出来事だ。先発した小島氏は4回でKOされ、敗戦投手に。試合後、顔を腫らしながらタオルで口を覆い、移動バスへ向かった。バスに乗り込む瞬間、そのタオルが血まみれになっているのを目撃した関係者もいた。
当時の監督は“燃える男”星野仙一氏。ベンチ裏で鉄拳制裁を受けたのだ。小島氏は現役中、何度かその話題を振られても「転倒したことにしておいてください」と口を割らなかった。星野氏の期待と愛情の裏返しだったと、後年語る関係者も多い。
引退後はアマチュア指導者に転身。静岡・浜松修学舎高の監督として、体調を崩す昨年まで後進の育成に尽力した。元中日外野手で浜松開誠館高監督の佐野心氏が「小島がコーチをやってくれています」と教えてくれたこともあったが、結局会いに行けないままの別れとなった。
“血に染まったタオル”と“2度の隠し玉”——。波瀾万丈すぎる58年の生涯に、ファンからは「まだ早すぎる」「星野監督のもとで思い切り投げる姿が忘れられない」と悼む声が上がっている。小島弘務氏のご冥福を心からお祈りしたい。
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