フォアマンがノートンを2回で粉砕、直後にカラカスで足止めされた伝説の一夜
1974年3月26日、ベネズエラ・カラカスのポリエドロアリーナ。ヘビー級タイトルマッチは、ゴングが鳴る前から異様な緊張感に包まれていた。挑戦者ケン・ノートンは、あのモハメド・アリを破った男。前年3月の第1戦でアリの顎を骨折させ、6カ月後の再戦でも僅差の判定まで持ち込んだ実績があった。そんなノートンが、怪物王者ジョージ・フォアマンにどう立ち向かうか――それが、この一戦の最大の焦点だった。
フォアマンは前年、ジョー・フレージャーを2ラウンドで粉砕して王座を奪取。初防衛戦ではホセ・ロマンをわずか1ラウンドで退け、戦績は39勝0敗、36KO。ノートンのオッズは約3対1の劣勢と見積もられていた。だが、リングサイドで観戦したアリは違った見方を示した。24ラウンドをノートンと戦い抜いた男は、フォアマンが簡単にノートンを蹴散らすという前提に疑問を投げかけていたのだ。
寝苦しい夜が、これひとつで快適にAirio Pro 試合前にはいくつものトラブルが持ち上がった。フォアマン陣営はアメリカ人レフェリーを要求したが、地元ベネズエラ側は自国の審判を推し、最終的にジミー・ロンドーが指名される。さらに、フォアマンに膝の故障(捻挫か神経痛とも報じられた)が発生したとの情報が流れ、試合そのものが危ぶまれる事態に。だが、レフェリー問題の決着とともに、その不安も解消された。
水面下では、ドン・キングがフォアマン対アリのビッグマッチをすでに画策していた。ノートンが勝てばその計画は瓦解する――しかし、ノートンはその期待にまったく応えられなかった。
第1ラウンド、ノートンはなんとか距離を取ってボクシングを試みる。フォアマンは徐々に圧力を強め、ロープ際に追い詰める回数を増やしていった。迎えた第2ラウンド序盤、ノートンの戦略は完全に崩壊する。フォアマンはロープ際でノートンを捕まえ、クラブハンマーのようなパワーパンチを連打。ノートンはロープに支えられながらも何度もダウンを喫した。ノートンのコーナーがストップを合図し、ロンドーは2ラウンド2分00秒で試合を止めた。アリと24ラウンドも渡り合った男が、フォアマンの前には5分も持たなかったのだ。
報酬はフォアマンが約70万ドル、ノートンが約20万ドルと伝えられる。しかし、金銭を巡る騒動はここで終わらなかった。このプロモーションは税制優遇措置を条件にベネズエラに持ち込まれたが、試合後、現地当局が両選手の報酬の約18%を課税すると主張。両者は国外脱出を阻まれ、ノートンは3月29日ごろに決着をつけて出国したものの、フォアマンはその後も数日間にわたって交渉が続き、アメリカ外交官も介入する事態に発展。後に「カラカス・ケイパー」と呼ばれるこの一件は、リング上の結果と同程度の注目を集めることになった。
リングの中に曖昧さはなかった。フォアマンはフレージャー、ロマン、ノートンと、3連続のヘビー級タイトル防衛戦をわずか6ラウンドの合計で片付けた。ノートンがアリに勝利し、さらに24ラウンドを戦い抜いた事実は、逆説的にフォアマンの恐ろしさを浮き彫りにした。アリはノートンに敗れ、再戦でも苦しんだ。しかしフォアマンは2ラウンド足らずでそのノートンを葬ったのだ。
7カ月後、アリはザイールに飛び、ノートンが生き残れなかったヘビー級王者に挑むことになる。歴史は、その男にしか解けない謎を残していた。
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